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忘れられた翼 -Another Ending-1

Prologue

 幾多の困難を乗り越え、とうとうルクレチア王国に奇跡は舞い降りた。
 「女神の粛清」の惨禍から復活を果たしたルクレチア王国において、 アリシアは新たな女王として冠を戴こうとする。
 だが、この記念すべき日において、新国王たるオルステッドの姿は、どこにも見ることはできなかった――。

原作:名護みい
作文:桜エルフ

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忘れられた翼 -Another Ending-2

Scene1

 固唾を飲む、とはこのような感覚を言うのだろう。
 口内の唾を飲み込むのにも一苦労のアリシアは、そんな事を考えた。
 城の中で最も上等な仕立てのドレスに包まれた足が、わなわなと震えている。普段だったらわけもないほど簡単なはずの、息を吸って吐くという動作すら辛く感じる。腹の底で、重たい塊が転がっているような感覚が、先ほどから自らを苛んでいる。

 ルクレチア王城、城門前広場。
 その脇に据えられた控え室で、彼女は激しい緊張と戦っていた。

「見苦しいところがないかしら……?」
 控え室のドアの向こうは、城門前広場。その方向からは、多くの人間達の喧噪の声。
 今日城門広場に集まったのは、多くのルクレチア国民。アリシアはこれから、彼らに対して就任の抱負を語らなければならない。
 その緊張に耐えかねて、アリシアは思わず言葉を漏らしたのだ。
 この控え室の壁にもたれ掛かる、青髪の魔道士に対して。

「問題はない、あとはアリシアが落ち着くだけだ」
 青い髪を長く伸ばした魔道士は、その長髪と裏腹な男の声で応じる。
 腕を胸の前で組み、横目で控え室のドアを睨む長髪の彼は、ストレイボウという名を持つ。その名は今や、このルクレチア王国内で知らない者は居ないほどの高名である。

「俺が原稿を書いた通りに演説をすればいい。もし原稿の流れを忘れても、今のアリシアの率直な気持ちを言葉に乗せて、話せばいいさ」
 そこで、ストレイボウはおもむろに表情をほぐし、笑みを浮かべた。
「大丈夫。アリシア……お前の体に流れている、先代国王陛下の血を信じろ」
 ストレイボウのその励ましに、また別の声が後を追う。

「そうよ、アリシア姫……じゃなくて……アリシア女王も、もっと自信を持たなきゃ!」
 この部屋に居たのは、魔道士ストレイボウだけではない。この声を投げかけたのは、傍らに控えていたエルフ族の女性。
「ほら、メルン姉もああ言ってるんだし、アリシア様なら大丈夫だよ!」
 エルフ族の女性であるメルメルンを、愛称の「メルン姉」と呼んだのは、赤毛の少女ジョッシュ。彼女もまた、アリシアの護衛を兼ねて、この控え室に姿を見せていた。
「アリシア女王。我らジャイアント族には、『金も初めは石の中』という格言があります。あなたはまだ石の中の金かも知れませんが、それでも金であることに変わりはないはず。お気を確かに持ってください」
 この控え室の中で、最も巨大な体を持つ男はジルゴット。右目のみを持つこのジャイアント族の視線は、その剛毅な外見に反して、優しいもの。

 魔道士ストレイボウ。
 エルフのメルメルン。
 ジャイアントのジルゴット。

 この国に奇跡をもたらした救国の英雄が、3人もこの場に揃っていると来れば、仰天のあまり肝を潰す者が出ても、おかしくはあるまい。
 惜しむらくは、今この場には、救国の英雄達の筆頭が……筆頭のみが欠けてしまっているという、その一点だろうか。
 アリシアは深いため息と共に、その英雄の筆頭の名を思わずこぼす。

「オルステッド……もしもあなたがこの場に居てくれたなら、どれだけ心強いか……」
「アリシア……いや、アリシア女王。それはこの際言いっこなしだぜ」
 未だアリシアを「女王」と呼ぶことに抵抗があるのか、はたまた別の理由があるのか、ストレイボウの言葉もまた歯切れの悪いもの。
「ええ。分かってはいる……分かってはいるのよ。でも……」

 アリシアはドレスに包まれた両腕で自らの体を抱き、うつむく。
 この自分の体を抱く両腕が、自らの愛する人の腕だったら、どれほど心強いか。
 こうして感じる温もりが、今自らが名を呼んだ男からもたらされたものなら、どれほど励まされるだろうか。
 想像するアリシアは、彼の腕の心地よさを思い出す。
 そして今それを得られない現実との間で、心が二つに引き裂かれそうな思いに駆られる。
 こうして仲間達の励ましを得られる事は、もちろん何にも代え難い助けになる。それでも、彼ら彼女らでは埋めてもらえない--満たされない想いは確かにある。
 そして、アリシアの立場も、彼女がそれ以上の感傷に浸ることを許してはくれない。
 控え室のドアが開き、外から昼の光が射し込んだ。

「女王陛下、陛下の戴冠(たいかん)のお言葉を賜る時間が参りました」
 昼の光の逆光が、王国兵の形に切り取られている。式の進行を務めていた兵士が、この控え室までアリシアを呼びにきたのだ。

「いよいよか」
 ジルゴットの右目が、外の光を映して輝く。
「アリシア様、もしつっかえちゃったら、ボクが見えないところからゲンコーを読んだげるよ!」
 ジョッシュは、満面の笑みでアリシアを力づける。
「止めておけ。読み書きもろくにできないお前みたいなバカが影から原稿を読んだら、余計に混乱させるだけだ」
 相も変わらず、ストレイボウの皮肉は辛辣にジョッシュを刺し、彼女の頬を不満げに膨らませる。
「それじゃあ、後でのことはこの私にお任せね!」
 メルメルンは、いよいよその時が近づいてきたと意気込み、足下の小振りな宝箱を持ち上げた。華美な装飾が施されたその宝箱には、値打ちのある宝物が秘められていることを、見る者に伺わせよう。

 アリシアは、もう振り返ることはしなかった。
 ただ一つだけ、左手の薬指を撫でるだけ。
 エリアルリング……かつてヒトビトが神と戦うために生み出した神代の秘宝にして、アリシアが心を捧げた男性から贈られた、想いの証。
 それが、今のアリシアの左手薬指にはまった、銀色の指輪の正体である。

 アリシアの前面に、昼の光が広がった。
 同時に、いつも見慣れている王城の城門前広場の光景。
 そして、それを埋め尽くすルクレチア国民。
 国民達は、アリシアの姿を見た途端、一層の歓声を上げて彼女を歓迎する。
 アリシアは、これほどまでの緊張を強いられたことは、15年の人生の中であっただろうか、と自問する。
 父は……先代国王は、日常的にこの緊張感と戦ってきたのだと考えると、それだけで目がくらみそうになってくる。

(これが……)
 これが、ヒトの上に立つヒトの重み。
 ヒトの命や財産を、その双肩に負うという意味。
 腹の底に力を込めて、アリシアは詰まりそうになる息を必死になって整える。

 幼い頃から父の隣で何度も見ていた光景を、父の立場で見るというだけで、まったく違ったものにすら見える。
 アリシアは、目前の壇上を目指して、ドレスの下の足を一歩ずつ動かしてゆく。幼い頃にはよく飛び跳ねて回ったこの城門前広場で、これほどまでに足が重くなるなどとは、しばらく前の彼女には想像もつかないものだっただろう。

 自らのためにこしらえてもらった壇上に、ようやくの思いでアリシアは上がった。
 その頃には、国民達の歓声も収まりつつある。
 アリシアの瞳は、右から左へ、そして左から右へと、国民達の人だかり何度も行き来した。

 老いた者。
 若い者。
 男性。
 女性。

 当然のごとく、国民の中にはさまざまな背景を持った者達がいる。
 ここにいるのは、自らが治めることになる国の、その国民の大半。怪我や病気などでここまで来れない者や、どうしても抜けられない仕事がある者達以外は、ほとんど全員が揃っているはず。
 アリシアは、耳の奥で自らの奥歯ががちがちと打ち鳴らされる音を聞きながら、今この場で消えてしまえたらどれほど楽だろうという、空しい想像に身を任せたい欲求に駆られた。
 右往左往する彼女の瞳が、あの子供達を見つけるまでは。

「!!」
 「女神の粛清」で、魂を刈り取られた後もなお、この場に居ない救国の勇者を罵る事を止めなかった国民達の中で、それでも勇者を信じると答えたあの子供達。
 驚いた拍子に、アリシアの胸の中に空気がするりと入り込む。重かった腹の底に新たな風が吹き込み、軽くて心地よい感覚が広がってゆく。
 アリシアがそうしている内にも、子供達は何か言いながら、アリシアの方に向けて手を振った。その言葉は喧噪にかき消されアリシアの元までは届かないにしても、それでもその言葉に乗せられているであろう心は、間違いなくアリシアにも届いている。
 アリシアの腹の底から、吸い込んだ空気が戻ってゆく。
 彼女は、その戻ってきた空気を、ためらうことなく言葉に換えた。
 喉を震わせ、舌を操る。

「――皆さん、このたびはこの王城広場に集まり、私の言葉を聞きに来てくださって、ありがとうございます」
 今まで凍り付いていたようになっていたアリシアの舌が、上顎から剥がれていた。
「私達はこうして今、確かに命と魂と、そして心を持って、私達の生まれ育ったこの王国の大地を踏みしめ、式を行うことができています。これは奇跡です。まさしく奇跡と言うほか、ありません」
 アリシアがこの言葉を放つ頃には、城門前広場はすでに、水を打ったような静寂で包まれている。
「この日、この式に至るまでの事を語れば、語り尽くすことはとてもできないでしょう。ですから、かいつまんで話をしたいと思います。まず、私達のこの王国の現状から、語る事としましょう」
 つかみ取ったこの感覚を、二度と逃すまいとするアリシアは、ほんの一時ばかり両の目をつむった。
 再度見開かれた後も、その目に宿る光は鈍る気配を頑として見せようとしない。

「『女神の粛清』……。それが、ほんの少し前に女神リリウムから私達にもたらされた神罰です。そう、私達は、いちどきはリリウムから神罰を下され、その魂を刈り取られました。その後に続いたのは、神魔王オディウムの復活――。今思えば、この神魔王オディウムの復活すらも、私達に与えられた神罰の一環だったのかも知れません。かつてヒトビトをこの世界から滅ぼそうとした、忌まわしい神魔王すら蘇らせてしまう程に、私達が今までに為してきた行いは罪深いものだったのかも知れません」
 アリシアの語る「女神の粛清」の顛末は、この場に居る者にとっては言わずと知れていよう。アリシアは、けれどもそれを再度語ることに、ためらいはない。

 つい先日のこと。
 勇者オルステッドが国王を殺害した疑惑ゆえに、ルクレチア王国内が前代未聞の大騒動となっていたある日に、それは起きた。
 ルクレチア王国の東にある禁断の地、魔王山で、突如として白い光が巻き起こった。
 ちょうどその時を前後して、勇者オルステッドは、魔王山山頂にて、魔道士ストレイボウの奸計を暴き立てた。自らがストレイボウの策略にかかったと知ったオルステッドは、国を追われる際に得た仲間と共に、ストレイボウをその剣でもって、見事に成敗してのけた。アリシアはオルステッドらのこの活躍により、救出されたかに見えた。
 だが、その行いの一部始終を見ていた女神リリウムは、彼らの行いにとうとう怒りを爆発させることとなった。

「私は、オルステッドを待つ事ができずにストレイボウへ膝を屈し、オルステッドの命懸けの救助の手を裏切ることになってしまった。ストレイボウは、親友であるはずのオルステッドを罠にはめ、オルステッドを破滅させようとした。そして……」
 これから愛する者の名を改めて呼ぶのだからと、アリシアはそこで大きく息を吸う。
 もう何度繰り返したか数えることもできない舌の動きと息づかい。それをもって、アリシアは彼の名を呼ぶ。

「……私の愛する夫にして、この式に出席することは叶わなかった新国王たる、オルステッド」
 「オルステッド」という言葉を発した際、アリシアは瞳がわずかに潤んだのを感じる。 「オルステッドは……オルステッドは自らの名誉を守るためとは言え、親友であるストレイボウに剣を向けた。私は、そのオルステッドの行いを……」

 喉の奥で、言葉が詰まってうまく出てこない。
 アリシアは、喉がかっと熱くなる感覚に、思わず口を閉ざしそうになる。
「……行いを……行いを……見て……」
 アリシアの両の目尻に、ぷくりと雫が浮かんだ。喉の熱さが目元に伝い、それが鼻孔の奥にまで広がる。

 愛する人への想いと、彼の行いと、彼へ覚えた罪悪感と。
 ない交ぜになって、アリシアの心を突き上げる。
 彼女の両目に浮かぶ雫は、震えながらその身を少しずつ膨らませてゆく。
 聴衆達の中に、彼女の異常を察し、新たなざわめきの波紋が広がった。

「…………!」
 オルステッドの事を口にしようとして、とうとうアリシアは口元をその両手で覆い、うつむく事を止められなくなる。

(やっぱり、私には……!)
 「女王など務まりはしないわ」……その言葉を、胸中で呟くことを、アリシアは辛うじて堪えた。
 左手の薬指を、痛みすら覚えるほどに強く握り締めて。その痛みが、弱気になった自分への、想い人からの叱咤激励だと考えて。
 気遣わしげな沈黙が、城門前広場を包み込んだ。
 鼻をすん、と鳴らして、アリシアは空を見上げていた。

 いつもと変わらない、晴天のルクレチアの空。瑞々しく広がる蒼と、そのところどころを飾る雄大な雲。
 この空の下のどこかで、今オルステッドは遙かなる帰路に就いているはず。アリシアはそう祈り、そしてその次の瞬間に祈りは確信へと変わっていた。
(オルステッド……!)
 もう心の中でも自らの口でも、何度呼んだか分からないその名を呼びながら、アリシアはその両目を固く閉じた。
 その両目は、聴衆である国民の方向を向くまで開かれる事はない。
 そしてその両目が開かれた時、彼女の目元から涙の雫は消えていた。

「……取り乱しました。続けます」
 未だ喉と目と鼻孔の熱さは抜けないが、アリシアはそれを振り切らんとして、凛と胸を張り、国民達を見つめる。

「そう。勇者オルステッドも、その友人のストレイボウも、そしてこの私も――。想いは何度もすれ違い、そして苦しんでいました。本来大切に想い合っていた仲なのに、私達は互いを傷付け合うしかできなかったのです。それでも勇者は、その痛みや苦しみに耐え、そして私達の理解を得られない状態でも、なお戦うことを止めませんでした。いじましいまでに戦い抜いた、そんな勇者に痛みを与えた者も、その痛みを知り寄り添う努力をしなかった者も、今思えば何と罪深い行いだったのか。今でも私は、自らの為した愚かな行いに、心の痛みが止みません」
 その言葉を聞いた国民達の一部は、浮かない表情と共にアリシアから視線を外した。
 勇者を頼って送り出し、そしていざ手持ち無沙汰のまま王国に戻ったなら結果に不満を抱いた。そして挙げ句には手のひらを返し、その勇者を魔王と罵り出す始末。

「15年前、ひとたびはルクレチア王国を救い、そして今回は自らの身を挺してオルステッド達を導いた先代勇者のハッシュとウラヌス……。彼らは15年前、魔王を討伐して以降二度と表舞台に上がろうとしなかった理由も、今の皆さんなら分かっていただけると思います。彼らはきっと、私達の余りに愚かな態度に呆れ果てていたのでしょう。先代の勇者ならず、今回の勇者すらも傷付けた私達の無知と怠慢――。残念ながら、これではリリウムの怒りと神罰を買ったとしても、致し方ないと言わざるを得ません。そこで……」
 アリシアの瞳の奥底で、光が一つ揺れる。

「このルクレチア王国の復興にあたり、早速皆さんにお力を貸して頂きたいことがあります」
 アリシアの言葉に、国民達はその耳を一層澄ませる。新女王となるこの少女が、自分達に求める助力とは何なのかを、その耳で聞かんとして。
 アリシアはその様子をひとしきり眺めた後、大きく息を吸い込んだ。
「私達の行いに怒り、悲しみ、そして今は眠りについているリリウム……彼女の魂を慰め、そして私達の犯した罪をあがなうために、私はリリウムへ祈りを捧げる司祭と、その信徒らが必要だと考えます。すなわちそれは、リリウム教会の設立です」
 「教会」という、このルクレチアでは聞き慣れない言葉がアリシアから放たれた。
 聴衆はこぞっていぶかしげな声をあちこちから上げる。

 教会とは、神を信じる者達が集まり、司祭の導きの元に祈りを捧げる場。神の御業が幾多も遺されたこの世界にとって、そう珍しいものではない。これまでのルクレチア王国のような例外を除けば、の話ではあるが。
 アリシアは、その弁を止める事なく、まっすぐに国民達を見つめていた。

「リリウムは遙か昔、このルクレチア王国が興った時、初代王妃の魂に封印されて以降、その信徒のほぼ全てを失いました。リリウムは深い深い眠りにつき、その間歴代のルクレチア王妃の魂から魂へと渡っていったのです。そうやって、今まで孤独に苛まれてきた彼女を、祈りでもって慰める事は、彼女へ対する何よりの罪滅ぼしとなるでしょう。彼女の事を、国を滅ぼしかけた邪神呼ばわりし、追い出すことに比べれば、ずっとずっと素敵な行いだと思います」
 アリシアの言葉を否定しようとする者など、誰もこの場にはいなかった。中には、大きく首を縦に振り、自らの新女王の考えに強く同意する者もある。
「ここに新生するリリウム教は、彼女を邪神ではなく、ルクレチアの守護の女神として奉る事としましょう。彼女に祈りを捧げる大司祭は、リリウムの寄り代である私が引き受けます」
 アリシアは、もう一度その瞳で一同を眺めた。
 今度は自信なさげに、顔色を伺うようにして彼らを見るのではない。その両の瞳には、決然たる光が宿っている。

「女神リリウムの心に寄り添い、彼女の孤独を癒したいと思える人達……。あなた達は、この式が終わった後で、私の元に来て下さい。私と共に、リリウムへ祈りを捧げる仲間となりましょう」

 これまで女神がありながら、教会を持たずにいた森の王国、ルクレチア。
 その王国に、国教が誕生した瞬間であった。

忘れられた翼 -Another Ending-3

Scene2

 目の前には、無限とも思えるほどに深い闇が広がっていた。

 瞳の焦点を合わせることすら辛いと感じるほどに、彼は憔悴しきっていた。
 耳はいかなる音をも捉えない。自らの呼吸の音や、心臓の鼓動すら聞こえない。
 単に自らの耳が聞こえなくなってしまっているのか、それとももはや自らの命の火は消え失せてしまっているのか、それすらも彼には定かではない。
 けれどもやがて、彼はどうやら自らが生きているのだという事に、何とか気付くことになる。まるで数百もの刃が、全身を駆け抜けるような激しい痛みゆえに。

(…………!!!)
 激痛。全身を容赦なく引き裂く痛み。
 これほどの痛みを受ければ、常人ならば耐え切れずに「ある事」をしているに違いない。彼は濁りそうになる意識の中で、何故かそんな考えだけははっきりと浮かんでいた。

 だが、まともな生を受けた人間なら、痛みに対して行う反応が何なのか? 何故か、それだけがぽっかり欠け落ちてしまったように、分からない。
 ほんのわずかな時間か、それとも気の遠くなるほど長い時間か。
 それは定かではないが、とにかく間を置いてから、彼はようやく思い出した。

 痛みを覚えたなら、悲鳴を上げて苦しむことがまともなヒトの反応である、と。
 そこに気が付いた瞬間、彼の意識は呆気ないほどに晴れ上がっていた。

 自分の種族は? ――人間族。
 自分の性別は? ――男。
 では年齢は? ――20歳。

 「種族」、「性別」、「年齢」。これらの概念をきちんと認識できる。自分自身は、確かにここにある。
 では、自分は今まで何をしていたのか? ――それが、彼が自らに対して投げかけた次なる問い。

 思い出せない。

 そもそも、「思い出す」とはどのような行いか? いよいよそれすらも分からなくなりそうになったところで。
 彼に、文字通りの「一筋の光明」が差し込んだ。
 目の前に浮かぶ一振りの剣により。
 この剣の名は、すなわち――。

(……神々の黄昏(ラグナロク)……か……)
 彼は、そこで気付く。自分は、この剣の名前を知っている、と。

 根本では太く、そして先に進むに連れて細身になる両刃の刀身。
 護拳の部分は人間業とは信じがたい華麗な金細工が施され、そのところどころには深紅の宝石があしらわれ、輝く。
 刀身も、護拳も、そして柄も。
 完全なまでに左右対称に造られたこの両手剣。
 これこそが「神々の黄昏(ラグナロク)」の名を持つ、ヒトビトの心が生んだ神殺しの剣。

 彼は、そこまで思い出して、そこでようやく大切な自らへの問いを忘れていた事に、気が付くこととなる。

 自分の名前は? ――オルステッド。

 彼は……オルステッドは、そこで全てを思い出した。
 この闇の中にたゆたっている、その理由も。
 自らがこれまでに辿った、物語の全ても。
 全てが自らの内で焦点を結ぶ。

 その時だった。
 ラグナロクが淡い光へと溶けゆき、そしてその光が二つに分かれようとしていたのに気付いたのは。
 すでに、目の前にはラグナロクの姿は無かった。
 ラグナロクは、二つの剣へとその身を変えていた。
 魔王殺しの片刃剣、ブライオンへと。

(…………)
 オルステッドは理解する。ラグナロクの役割は、今こそ果たされたのだと。たとえ言葉が無くとも、ラグナロクの意志は心で捉えることができる。

 神をも滅ぼしうる力を持つこの剣……ラグナロクは、そのままにあっては余りに危険過ぎる。この強大な力が、邪悪な心を持った者の手に渡れば、ヒトビトは神ではなく、自ら生み出した力によって滅びるという、皮肉に満ちた運命を辿りかねない。
 仮に邪悪な者が現れずとも、強大な力はそれ自体が災厄を呼び寄せうる。強大な力はヒトビトを誘惑し、その私心や利己心を常に刺激し続ける。また、強大な力は、存在そのものがヒトビトの不安や恐れをかき立て、ヒトビトの心を休ませることがなくなる。
 そして残念ながら、ヒトは全員が全員とも、その誘惑や不安に打ち勝てるほどには強くない。それゆえに、神魔王を撃破した今、この力は再び封じられねばならない。
 ラグナロクはそう思ったからこそ、こうしてまたその身を分ける事に決めたのだ。

 今や二振りのブライオンに姿を変えたラグナロク。
 その内一振りは、この無限の闇の彼方に消えることを選び。
 そして残る一振りは、オルステッドの側に寄り添う。

(お前が、私を守ってくれるというのか……?)
 オルステッドが残る一振りのブライオンを前に、問いかけた。ブライオンの意志は、その問いかけをただ肯定する。
 オルステッドは、そのブライオンの答えにただ是非もないと、心の中でつぶやいていた。

 満身創痍。それのみならず、満「心」創痍。それが、今のオルステッドの状態。
 今のオルステッドは、身も心も傷付き果てていた。
 神を相手にラグナロクを振るい、そして本来ならば助からないはずのアリシアを、そしてルクレチア国民を救うための奇跡に、対価を支払った。いかにオルステッドが勇者とは言え、その対価の支払いは決して生易しいものではなかった。
 先ほど覚えた激痛の正体は、自らの魂が削り落とされたがゆえ。オルステッドは気付いている。あの痛みは、肉体が訴えたものではない。肉体が感じる苦痛とはまた、別次元の苦痛。
 奇跡を起こすための対価として、自らの魂――オルステッドという人間の魂の、ほとんど全てを引き替えにしなければならなかったがゆえの、この状態である。

(だが、どうやら私はこうして生きている……らしい)
 生きている、と断言まではしないオルステッド。
 正直なところを言えば、この無限の闇の中にたゆたい、そしてブライオンの姿を見たり聞いたりしている自分自身が、肉体という形で存在しているのか、魂という形で存在しているのか、それすらもよくは分からない。
 それゆえに、オルステッドは自らが「生きている」とまで、断ずることはしない。
 どちらにせよ、間違いないことは、これほどまでに傷付き戦う力を失った今の自分は、けれども絶体絶命の窮地にはとりあえず陥らずに済んでいるという事。
 ブライオンの守りがあれば、傷を癒す時間と安全は、十分に確保できるだろう。

 オルステッドの目前にまで、ブライオンは浮遊し寄り添う。
 その切っ先は、オルステッドの胸へと差し込まれてゆく。
 無論、それはブライオンの刀身が、オルステッドを傷付けようとしている事を意味しない。
 ブライオンは、自ら選び取ったのだ。オルステッドの心そのものを、自らを納める鞘にすることを。

(……そう言えば、こんな経験もこれで二度目か)
 オルステッドの心の中に、ブライオンが宿ったのはこれが初めてではない。
 アリシアの心に飛び込み、その内に潜んだリリウムを倒すために、彼女の心に降り立ったときも、もう一振りのブライオンがオルステッドの後を追い、その心の内に宿った。
 リリウムを討つ好機を伺うために、ブライオンは自らオルステッドの魂の光の内に紛れ、その身を彼女から隠したのである。ちょうど、あの時に起きた現象が、今またこうして起こっていると考えれば良い。

 オルステッドが回想する内に、ブライオンは切っ先から刀身へ、刀身から護拳へ、護拳から柄へと、オルステッドの胸の中に潜り込んでゆく。
 ついに、柄までもがオルステッドの胸の中に潜り込み、そしてブライオンの姿は見えなくなった。
 ブライオンの光が失せ、再び周囲は闇の中に沈む。けれども、オルステッドの心に不安や恐れは沸き上がらない。

(お前はここに居るんだな、ブライオン)
 オルステッドは、自らの心の内にブライオンが収まったことを、確かに感じる。
 オルステッドが抜こうと望めば、ブライオンはいつでもオルステッドの心の中から現出しうるだろう。それを今試してみようか、などとは考えないが。
 仮に今ブライオンを現出させたとしても、この体と心では満足に剣を振るうこともできない。今はこうして、オルステッドの心という鞘の中にあるだけで、問題はないだろう。
 安心したように、オルステッドは力を抜き去る。
 後はこうして、力が戻るまでひたすらに休み続ければいい。もう、戦いは終わったのだから。

 オルステッドがそうして、再び休息という安らぎに身を任せようと考えた、その時。
 オルステッドの居るこの無限の闇は、にわかに蠢き始める。

忘れられた翼 -Another Ending-4

Scene3

「そして、これを機に設立されるのはリリウム教会だけではありません。今のルクレチアに足りないものは、信仰の場のみではないのです」

 リリウム教会の設立という宣言ゆえに、ざわめく聴衆。アリシアはそこに、更なる知らせを重ねんとする。
「そもそも皆さんがオルステッドの事を魔王と誤解した、その理由は覚えていますね?」
 問うアリシア。
 無論彼女とて、その現場に居合わせたわけではないが、「その事件」の真相は聞き及んでいる。何せ、「その事件」の黒幕とも言うべき人物の元に、自身は誘拐されていたのだから。

 あの夜の事件から、全てが変わってしまったとも言える。
 先代勇者と、そして友を失い、あまつさえ姫君を救うこともできず、失意のまま魔王山から帰還した勇者。勇者はその夜、ルクレチア王城の玉座の間に突如現れた魔王へ剣を向け、そして葬り去った。
 その魔王の正体が、ルクレチア国王その人であったことに気付くこともできずに。

「その時の事を思い出せば、不自然な点はいくつもあったはずです。何故お父様が夜更けに床の間ではなく玉座の間に居たのか。何故オルステッドは魔王の幻影を見たとき、周りの兵士を呼ばなかったのか。そもそも、何故魔王山に向かうほどの勇気を見せたオルステッドが、乱心してお父様に剣を向けるような事をしたのか? 結論を言えば、オルステッドはあの時陰謀に巻き込まれ、魔術によって目も心も惑わされていた、ということになります」
 この陰謀を企み、そして実行した犯人の名前は、あえて口にしないアリシア。
 無論、勇者の名誉を傷付け、失脚させるために国王殺害を教唆したこの卑劣な陰謀は、断じて許されるべきではないだろう。だが、その犯人に対する裁きはすでに下されている。これ以上の追及は、ただ無意味に彼を鞭打つだけに過ぎまい。
 そもそも、今はその犯人を鞭打つべき時ではない。それを超えるほどに重大な課題が、今のルクレチアには存在する。
 アリシアは、その課題を口にし、国民の輪を見つめていた。

「あの時、もし魔術による罠を疑う事ができていれば、その後にあれほどまでに勇者を追い詰めることも無かったかも知れません。ヒトに幻を見せ、心を操り、真実を見ようとする目を濁らせる力も、魔術の中に存在するのです。だからこそ、私達は魔術をより深く知ることで、再び魔術による陰謀が引き起こされる事を防がねばなりません。そこで――」
 アリシアは、もう一度息を深く吸う。
 これから話すことは、今日この日を迎えるまでに、友人である魔道士と何度も言葉を交わし、そして決めたこと。正しく言えば、「罪人である自分にそんな大任は受けられない」と渋っていた彼を説得し、そして取り付けた事項。
 アリシアが、高らかにその決定を国民達に知らせた。

「――ルクレチア王国魔道士団の設立もまた、今この場において宣言します。この魔道士団の団長の任に就くのは、魔道士――改め、宮廷魔道士ストレイボウ」
 再びどよめく、ルクレチアの国民達。そのどよめきの原因は、魔道士団の設立の宣言そのものではなく、団長を務める人間の名にあった事は、想像に難くない。
 ストレイボウ――それこそ、勇者オルステッドを陰謀に陥れた張本人の名なのだから。
 アリシアの登る壇の傍ら……つい先刻までアリシアが控えていた控え室の中で、その名を呼ばれた魔道士本人は、ただただ口元を固く引き結び、眉を震わせていた。

「…………」
「……ストレイボウ? 顔が怖いよ?」
 ストレイボウの表情を覗き込むジョッシュに、ストレイボウは重々しげにその口元を緩める。
「当たり前だ。これこそが、俺に与えられた『罰』なんだからな」
「どうして、マドーシダンのダンチョーをやるのが罰なわけ?」
 ストレイボウは、ジョッシュの質問にただ鼻を鳴らし、軽くあしらうのみ。
「知りたきゃ、もう少し勉強をするこったな」
「もー、ストレイボウってばまたそればっかり」
 ジョッシュはご機嫌斜めといった様子で、唇を歪めてストレイボウを見上げていた。傍らのエルフとジャイアントは、合計して3本の目線を2人に向けて、そのまま沈黙を守るのみ。

 そもそも、今回こうして魔道士団の設立のきっかけとなったのは、ルクレチア王国を襲った陰謀ゆえ。そしてその陰謀は魔道士ストレイボウが仕組んだもの。言うなれば、倉庫に盗みを働いた盗賊が捕まり、そしてそのまま倉庫番に任命されるも同然の事態。皮肉と言えば、これほどの皮肉もそうはあるまい。
 当初、アリシアがストレイボウに対してルクレチア王国に魔道士団を設立を提案し、そしてその団長に就いて欲しいと依頼したとき、ストレイボウはそれを拒もうと考えた。オルステッドを陰謀に陥れ、国王殺害を教唆した大罪人である自分が、ルクレチア王国の幹部に据えられては、罰にはならないと主張して。

 だが、アリシアはそのとき、ストレイボウに言った。
 お父様の言い渡した罰を受けるなら、これ以上ふさわしいものはないと思うわ――と。
 ストレイボウはその時、アリシアの父……すなわち、先代のルクレチア国王の言葉を否が応にも思い出すこととなる。

『武闘大会で準優勝にこぎ付けるほどの魔術の素養と聡明なその頭脳』
『今度はこの国と親友のために使うのじゃ…分かったな?』

 オルステッドの名誉を傷付けるために陰謀を企み、そして国王の命もをその陰謀の手段とした罪に対し、魂のみとなった国王はこの判決を言い渡した。

(確かに、今の今までルクレチアにはほとんど魔術の使い手がいなかった。それこそ、魔術を独学でも学びたがるような、俺みたいな一部の物好きなんかを除けばな)
 アリシアの指摘を思い出したストレイボウは、両の瞳を深く閉じた。たとえ治世の方法をろくに学んでおらずとも、さすがはルクレチア王室の血を引いた少女だと、その時は思わず舌を巻いた。
 国王からも認められた、魔術の素養と聡明な頭脳……それらをルクレチア王国と友のために使うことが王の用命ならば、ストレイボウはその魔術の知識を活かすことが最も理にかなっているであろう。
 そして、ルクレチア王国の繁栄のためには、魔術の力が必要だというアリシアの判断が合わされば、ストレイボウが魔道士団の団長の座に就くことは当然の事と言える。

(だが――)
 再び薄く開かれたストレイボウの目は、控え室の窓から覗けるアリシアの姿を見つめる。知恵に覚えのある者は、このたび新設される魔道士団に入団し力を貸して欲しい、と国民に問いかけるアリシアの姿が、彼の目には眩しい。
(――俺が死んだりでもしない限り、この役割を辞任する事は許されないだろうな)
 ストレイボウが心中でそう断じたのは、やはり国王の言葉を思い出してのこと。極刑をも覚悟していたストレイボウの耳に届いたあの言葉は、今でも彼の脳裏に焼き付いている。

『残された生涯の全ての時間をこの国の繁栄のために捧げること』

 すなわち、先代国王がストレイボウに命じた刑期は無期。全ての生涯を、このルクレチア王国の繁栄に捧げることが、ストレイボウに与えられた刑罰にして使命。
 国の幹部に登用されるのであれば、それが何の罰になるのか――ジョッシュがストレイボウに投げかけた疑問も当たり前のこと。

 だが、その上でストレイボウが向かう前途は、決して洋々たるものではない。
 これまでルクレチア王国には、大がかりな魔道士団が組織された前例はない。魔道士達を育てる方法も、魔道士達をどう働かせるかも、そもそも魔道士団という組織をどう運営していくのかも、全て手探りで進めねばならない。
 それは、今まで魔術の勉強にのみ明け暮れ、ヒトを束ねる経験をしてこなかったストレイボウにとって、決して楽なものではないだろう。それでも、その仕事を投げ出すような真似は許されない。
 先代国王に裁きを下されて以降、ストレイボウはこうやって自らの罪の重さを何度も実感してきた。そしてそれは、今後も変わることはないだろう。

「ストレイボウ」
 沈痛な面持ちのまま、控え室の外を見つめるストレイボウに、女の声。これはジョッシュのものではなく、メルメルンのもの。
「まーた暗そうな顔になってるわよ。そんなにあの壇上に上がって挨拶できなかったのが心残りなの?」
 おどけたように言うメルメルンに、ストレイボウは表情をほぐす。
 代わって浮かんだのは、いつもの皮肉そうな笑み。

「フッ、馬鹿言え。俺みたいな奴が堂々とあんなところに登っていったら、せっかくのアリシアの晴れ舞台が、文字通り『台無し』になるぜ?」
 台の上に登って演説を行うアリシアを見ながら、ちょっとした言葉遊びをしてみせるストレイボウ。ジョッシュはその言葉遊びの意味を理解できずきょとんとなり、メルメルンとジルゴットはかすかな笑いをこぼす。

 そして、その時はやがて訪れる。
「……以上をもちまして、私から皆さんへの就任の言葉とさせて頂きます。このルクレチア王国をより良い国とするために、共に手を取り合い、協力してゆきましょう」
 今までアリシアの言葉に耳を傾けていたルクレチア国民の中から、割れんばかりの拍手の渦が巻き起こる。
 今度はストレイボウのみならず、ジョッシュも、メルメルンも、ジルゴットも、全員が控え室の窓から外に目を向けていた。
「就任演説が終わったようだな」
「ええ。それじゃあとうとう、私の出番ね!」
 先ほどから大切に抱えていた宝箱を、嬉しそうに掲げるメルメルン。人間の頭より少し大きい程度の大きさのその宝箱が、彼女の手の中で日の光を反射する。
 ジルゴットはそんなメルメルンの様子を見て、わずかばかり渋い顔を見せた。

「メルン、くれぐれもその中身を傷付けないよう、注意するんだぞ」
「分かってるわよ、ジル!」
「万一その中身が傷付いたら、最悪の場合俺達の種族と人間の間に、禍根が生まれるかも知れないからな」
 ジルの穏やかではない言葉に、ストレイボウが続く。
「で、異種族の間の憎しみから、早くも魔王が復活――とこう来るわけか?」
「や、止めなさいよストレイボウ! 変なフラグが立ったらどうすんのよ!?」
 茶化しながら言うストレイボウに、メルメルンは眉を逆立てる。ジルゴットは一つだけ肩をすくめて、ため息と共に付け加えた。
「まあ、メルンに限って魔王の復活の引き金を引くとは、考えにくいがな」
「自分で振っておいてなんだが、それには俺も同感だ」
「それじゃあボクも!」
 冗談を言い合い、ストレイボウとジルゴットとジョッシュから笑い声が弾けた。その声を聞きながら、メルメルンは憮然とした様子で、控え室を後にする事となる。

(ほんっと、いつもと調子が変わらないんだから……)
 腹立ち紛れに胸の中で吐き捨てるメルメルンだが、その腹立ちも、控え室を出た頃にはあっさり消えている。
 控え室から出た彼女の目前には、壇上に立ち、ドレス姿でメルメルンを待つアリシアの姿がある。それを見たとき、メルメルンは自らの心が嵐の去りゆく空のように鎮まっていくのを感じていた。
 何故だか、口元がほころび、笑みを浮かべたくなるメルメルン。

(この演説だけでも随分成長したみたいね、アリシア女王って)
 笑顔でメルメルンを迎えるアリシアの姿は、依然として1人の人間の少女に過ぎない。けれども、その立ち居振る舞いはもはや、自信に満ち満ちたもの。
 これがつい先ほどまで、人前で演説する緊張の余り怯え切っていた少女と同一の人物だとは、その目で見ていても信じがたいものがある。
(少女は恋をして、女になるってわけね。オルステッドも罪な男なんだから)
 ほんの少しばかり下世話な念に駆られつつも、メルメルンは静かに壇上に歩を進めていた。
 メルメルンがアリシアの隣に立つ頃には、見守るルクレチア国民の輪の中からはしわぶき一つ聞こえない。それほどまでの静寂が、再び辺りを支配する。
 アリシアはメルメルンを、メルメルンはアリシアを見つめ、そしてアリシアは再度笑みを浮かべた。
 その場で国民の側に向き直り、ひとだびは途切れさせた言葉を、もう一度彼らに向かい、放つ。

「皆さん、こちらがエルフ族のメルメルンさんです。今回はこの式に参加されたご来賓の代表として、特別にこちらにおいでいただきました。皆さん、盛大な拍手で迎えてあげて下さい」
 その声を待ちわびていたかのように、聴衆の輪の中から、大きな拍手の音が響き渡る。普段は緊張とは程遠いところに居るようなメルメルンも、これには虚を突かれたように目を丸くした。
(これはまた、スゴい歓迎ね……)
 できればこの場にジルゴットも居てくれれば、という気持ちが、彼女の心にわずかばかり沸き上がる。

 この式の来賓――もっとも、僅か2名の少人数だが――の代表として、メルメルンがこの壇上に上がると決めたのは、ジルゴットと相談してのこと。このような場に登るのは、見目も麗しいエルフ族である、メルメルンの方が適切だろうと、ジルゴットが切り出してのことである。
 そんな口実を設けて、上手いこと言い逃れたな、とメルメルンは思わないでもない。確かにジルゴットは、こんな雰囲気の場所は好まないだろうとは分かる。
 それでも――とメルメルンが心の中で呟こうとしたとき、収まりつつある拍手の渦の中、アリシアが話を再開する。

「メルメルンさんは、オルステッドがこの王国を追われた際、ジャイアント族のジルゴットさんと共にオルステッドをかばって下さった朋友です。そしてオルステッドと一緒に最後まで肩を並べて戦い、神魔王オディウムを倒しこの国を救って下さった、ルクレチア王国の恩人でもあります」
 アリシアが言葉を放つたびに、メルメルンは自分の手の中で、宝箱の重みが一段と増したような感覚を受ける。
 メルメルンがこうして、アリシアの話す壇上に上がったのには、当然のごとく理由がある。その理由を思えば、メルメルンの感じる宝箱の重みも当然のこと。

 メルメルンは、アリシアに冠を授けるために、この壇上にいるのだから。

「今日この日、私の冠はメルメルンさんが授けて下さることになりました。このルクレチア王国の晴れがましい日を、エルフ族も、そしてジャイアント族もまた歓迎して下さいます」
 メルメルンは、宝箱の蓋におそるおそる手をかけていた。手をかけつつも、もう開けてもいいのかとアリシアに問いたくなって、彼女に目配せ。
 国民の側を向いていたアリシアは、ふとメルメルンの目配せに気付き、向き直った。
 そして、一つうなずく。その蓋を、今こそ開け放って欲しいという想いを胸に秘めて。
 メルメルンは、もう迷わなかった。

 宝箱の蝶番が、一つ軋む音を立てた。
 ルクレチアに差し込む陽光が、宝箱の中にも満ち満ちてゆく。
 宝箱から返ってきた金色の光に、聴衆たる国民達は思わずどよめいた。
 宝箱の内側に張られた、紫の布。その上に鎮座していたのは、まごうことなき女王の証。
 メルメルンはそれを片手でそっと持ち、入れ物であった宝箱は足下に下ろす。
 そうして、彼女が両手で支える形になって、掲げたもの。
 それは、ルクレチア王国の女王の戴く、冠であった。

(…………)
 女王の冠の表面で、太陽の光が滑り落ちるたびに、金色の光があたりにきらめく。その装飾こそ決して派手ではないにせよ、それでも湛える威光に変わりはない。
 先代女王……すなわち先代国王の后がこの世を去って以来、この宝箱に収められていた冠に着用者はなかった。この冠が、再びその身に光を浴びたのはつい先日のこと。この式に先立って、金細工職人が冠の手直しを行った日のこと。
 そして、今日この日をもって、女王の冠は再び持ち主の頭の上で輝くこととなる。アリシアが女王の位を降りる、その日まで。

「さあ、メルメルンさん」
 メルメルンの方を向くアリシアは、瞳を閉じて膝を折る。
 両の手のひらを胸の前で合わせ、そのこうべを静かに垂れた。
「私に、その冠を授けて下さい」
 ひざまずくアリシアを前に、メルメルンは一つだけ咳払い。
 この時の言葉が、一応考えてきている。
 メルメルンは意を決して、その言葉を放った。

「私、エルフ族のメルメルンが、エルフ族と、そしてジャイアント族を代表して申し上げます。人間の王国、ルクレチアに、新たな女王が誕生するこのめでたい日を、エルフ族も、そしてジャイアント族も、心の底から祝福致します」
 目前の少女を言祝(ことほ)ぎながら、メルメルンは思う。
(……本当はこの役目も、オルステッドができたら良かったんだけどねえ……)
 もしそれが叶っていたならば、アリシアはどれほど幸せだっただろうかと、メルメルンは複雑な気持ちにはなる。

 だが、今この王国には、彼女に冠を授けるにふさわしい者などそうはいない。ルクレチアの国王も女王も、既にこの世を去っている。ならば次にふさわしいのは、このルクレチアを救った救国の勇者のうちの、残る誰かになるだろう。その判断から、メルメルンに対しこの大任の白羽の矢が立った。
 エルフ族とジャイアント族が、ルクレチア王国の女王就任を祝福するという形で、この式は執り行うと決められたのだ。
 その任を全うするべく、メルメルンは残る祝福の句を唱える。

「どうか、ルクレチア王国がこれを機に、ますます豊かに栄えることを祈ります。今やルクレチア王国は、私達エルフ族とジャイアント族にとって、かけがえのない親友である事は間違いないでしょう。私達の友情が永久(とわ)に続きますように……そんな願いを込めて、謹んでこの冠を戴いて欲しいと思います」
 メルメルンの両手に収まる王冠が、そっと降りてゆく。
 王冠の収まるべき場所まで、静かにメルメルンの手は下がりゆく。
 音もなく、冠はそこにかけられた。
 美しい桃色の髪を豊かに伸ばした、アリシアの頭部へと。

 これまでの中で最も大きな歓声と拍手喝采の渦が、戴冠式の会場に巻き起こったのは、それからすぐの事だった。

忘れられた翼 -Another Ending-5

Scene4

 自分は、夢でも見ているのだろうか?

 オルステッドがこの光景を目にしたとき、最初に思ったのはそれだった。
 今自分自身が肉の体を持っているのか、それとも魂の姿をとっているのか、それすらも分からないこの状態で、「夢」などという言葉を使うのは馬鹿らしい話かも知れない。
 けれども、それ以外の感想が出てこないのも、また事実。

 蠢き出したこの無限の闇。
 その中のあちらこちらで光が生まれ、また闇に沈む。
 その光は、これまでオルステッドが見たこともないような光景を、いくつもいくつも投げかけていたのだから。

 最初に見えたものは、未開の荒野。
 人間達が文明を持たない、神話時代すら越えるほどの太古の昔。
 その広野の中で、一人の少年が半裸の格好で野の獣を追っている。

 次に見えたものは、果てしなく広がる暗黒の星空。
 その中で虚空に浮かぶのは、白い船。
 入り口の見えないその船の中で、丸い形をした人形が動き回る姿が、何故か浮かんでくる。

(これは……)
 今まで見たこともない光景が、この闇の中に浮かび、オルステッドは呆然とそれらを見続ける。

 3つ目の光景は、四角く背の高い灰色の建物が、樹木のように林立する場所。
 その建物の森の片隅に、未だ痛々しい焼け跡の残る大振りな家がある。
 その家を直そうと動き回る、髪の毛の逆立った少年が、妙にオルステッドの心に残る。

 更に生まれるのは、木と土で形作られ、草を編んだ絨毯の広がる館。
 その中を、まるで電光のような素早さでもって動き回る一つの影。
 影の正体は、黒い簡素な衣で身を包み、目だけを覗かせた異国の隠密だと、オルステッドは気付く。

(これは……一体何だというのか?)
 何故、こんな光景が見えるのか。
 この光景の意味は何なのか。
 未だ納得のいく答えを出せずにいるオルステッドの前で、この幻影は生まれては消え続ける。

 数え上げて都合5つ目。最初に見えたものとは、また色彩の違う荒野が浮かぶ。
 この荒野は、やがては文明の波に呑まれる宿命にあるのだろうか、ところどころに人影が浮かぶ。
 その中の1人は、鍔の広いくたびれた帽子を被り、手には轟音を放つ鉄の筒を握る。その鉄の筒のもたらす閃光で、次々と周りの人間を打ち倒してゆく。

 緑と深い霧に包まれた山奥が、その次の光景。
 人里離れた山の奥で、1人の老人が拳や脚による華麗な技をいくつも披露。
 それを真似する3人の弟子は、やがてはこの老人を師匠として、大いに成長するだろう。

 7つ目に見えたのは、2つ目の光景と同じく、林立する細長く四角い建物。
 その四角い建物の中で、真っ赤な頭飾りをつけた1人の青年が痛烈に拳を打ち込む。
 拳を打ち込まれた袋はたまらずに引き裂かれ、その中に入っていた砂が一気にこぼれ落ちる。

(……そうか……)
 この7つの光景を見送ったところで、オルステッドは得心した。

 この光景は、ルクレチア王国のある世界とはまた別に存在する異世界なのだ、と。
 さまざまな伝承や神話には、この世界とは別の世界もあまた存在すると語られる。それを見た者も確かめた者も、オルステッド自身は聞いた事がないにせよ。
 この7つの世界の光景は、幾度も幾度もこの闇の中に生まれては消え、生まれては消えてゆく。オルステッドは、その全てを目と心に焼き付けてしまいたい、という思いに駆られていた。

(……お前達もまた、オディオと戦う異世界の勇者達なんだな)
 7つの世界の、7人の勇者がもたらす光景は、何度闇に呑まれても、それでも再び闇から浮かび上がることをあきらめない。

 『憎しみ』……あるいは『オディオ』。

 それは――
 太古の昔より――
 遥かなる未来まで。
 平和なる時も――
 混沌の世にも。
 あらゆる場所――
 あらゆる時代に。
 戦いの火種となるもの。
 それはヒトが存在する限り永遠に続く『感情』なのだ。

 それを思い、オルステッドは底知れないほどの恐怖に呑まれそうになる。
 このルクレチア王国のある世界のみならず、ヒトの居る世界には、必ず魔王が存在する。その魔王はいつ何時、ヒトに牙を剥き、ヒトビトの絆を断ち切り、滅ぼそうとするのかは分からない。
 ヒトは、たとえ異世界まで足を伸ばすことができたとしても、決して魔王からは逃れることなど叶わない。ヒトがヒトであり続ける事を選択し続ける、その限り。
 これを、恐怖と呼ばずして何と呼べばよい。

(だが……)
 だが、同時に。
 ヒトの現れるところ魔王が在ると言うならば、勇者もまた在る。
 この光景の中に映り込む7人の勇者達は、たとえオルステッドと格好も武器も違おうと、それでもオディオを倒さんとする勇者である事に変わりはないのだ。

 ある者は刀を。
 ある者は棍棒を。
 ある者はその拳を。
 ある者は轟音を生む鉄の筒を。
 ある者は自らの身に秘めたからくりを。
 そしてまたある者は自らの心そのものを。
 それらを武器として、彼らは戦う。

 たとえ魔王が何度絶望の闇でヒトビトを覆い尽くそうと、勇者達は希望の光をもって、闇を消し去るだろう。
 ちょうど、この闇の中で何度消え失せようと、再び浮かび上がってくる7界の幻影のように。

 オルステッドは、何故だか予感する。
 次に目が覚めたときには、自分はこの光景を忘れてしまっているのではないかと。その予感が外れて欲しいと願う反面、それならば今だけでもこの光景を心に深く刻みたいとも願う。
 7界の幻影は、この無限の闇の中で何度も何度も閃き、そして消える。
 オルステッドは、いつまでもその光景を眺め続けていた。
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